ローテ有識者を待つ。

私を強くしてください。

懐古① 未熟

2024年4月に3DSのオンラインサービスが終了する。

私はいまだにポケモンORASローテーションバトルを遊んでいる。もう8年くらいになるのでしょうか?

ゲーム下手くそくんなりにたくさんの時間を費やし、誰に何と言われようと間違いなく本気で取り組んできたゲームが一度目、いや二度目の完結を迎えます。

ちょうど良いのでポケモンローテーションバトルとの出会い、その他色々を思い出してみようと思います。若い自分の痛々しさや恥ずかしさも隠しません。

 

 

 

ポケモン対戦に足を踏み入れたのは高校生の頃だった。

同級生にポケモンをしようと誘われて買ったブラック。久しぶりのポケモンだったがシナリオとポケモンのデザイン、自分には新鮮な要素も多くすっかりはまっていった。

一緒に遊ぶ友達は誘ってくれたKくんと小学生からの友達のIくんの2人しかいなかった。既に発売してから4か月くらい経過していてもう多くの同級生は飽きて別のゲームをしていた。知り合いの中で唯一残った3人だった。

Iくんはどんなゲームも得意な子で、ポケモンへの執着はなかった。私たちが遊ぶときにはポケモンに付き合ってくれて、それなりに対戦が強い子。

誘ってくれたKくんはネットで得た情報を駆使して中堅~ガチくらいのポケモンを使っていた。彼の性格はいつも何かを極めたいタイプの子で、いろんな情報を仕入れては教えてくれた。

私は対戦のセンスもなくただ自分の好きなポケモンを並べて戦いたい人間だった。しかしそのうち対戦に勝ちたい気持ちが強くなって何かを育ててはKくんに対戦を挑んだ。

当たり前だがシングルバトルを楽しんでいた。Kくんはコジョンドで分身バトンをするやつだった。あとチラチーノランクルスを愛用していたのを覚えている。

 

大学受験を迎えた。私とKくんは大学受験に失敗した。Kくんは目指すところがとても難関だったのだが、私は単純になんの実力も出せずに行きたい大学にも滑り止めにも行けなかった。Iくんはいろいろ悩んでいたが、私はとりあえず自分が納得できる大学に行けるなら行った方がいいと伝えた。関西の大学に進学した。

私とKくんは1年浪人した。その年にBW2が発売された。Kくんは1週間がっちりシナリオを楽しんでまた受験勉強に戻ればいいと連絡をしてきた。KくんにそそのかされBW2を発売日に買った。それから僕は11月まで、下手したらもっとブラック2を遊んでいた。何よりも大学受験というものを諦めていた。行きたい大学になんて行けない、実力は発揮できないと思っていた。

そうして僕は適当に行ける大学に進んだ。その時点でもう夢なんて持ってなかった。手に残ったのはポケモンだけだった。

 

 

大学に進んでも友達はできなかった。周りが年下であること、性格が明るくないこと、流行に疎く話せるトピックがないこと。そのうち講義も受けなくなった。

そんな中でサークルに所属していた。ポケモンサークル。たくさんの刺激をもらえる場所で生きている感覚がそこにはあった。誰かの為にゲームをするのが楽しかった。

11月ごろに弥生くんに出会った。その時の私はとても悲しい人だった。せっかく出逢えた大切な場所に新しく誰かが入ってくることに怯えていた。すごく攻撃的な目で外の世界を睨んでいた。幼い男よ。弥生くんとはきっと当時お互いに良い印象を持っていなかったと思う。

 

二回生になる少し前、春にできるであろう後輩の事を考えていた。私はこの組織に恩を感じていたからできることはなんでもしようと思っていた。一度新たに誰かが入ってきてそれでも何も変わらないことを学び、どんな後輩がきても一人残らず楽しませようと完全に心を入れ替えていた。

この時には弥生くんとも打ち解けていたと思う。弥生くんをたくさん頼って、ダブルバトルトリプルバトルローテーションバトルもマルチバトルも、なんでもできるようになろうと話していた。強い人のブログを参考にして、なんならまるぱくってPTを組んだ。ポケモンカードもその頃始めた。

二回生になった。この時すでに大学生活に可能性を感じていなかった。自分自身に可能性を感じていなかったから当然だった。でも後輩が出来た。何もしない人になるならせめて後輩くらいは楽しませる人で終わりたいと毎日思っていた。

誰も使ったことのないポケモンを育てた。みんなに見たことないエフェクトを見せたくてマルチバトルでは変な技も使った。別にゲームには負けてもよかった。全体が楽しく終わればそれでよかった。変則ルールで大会を催す後輩を応援して真剣にPTも組んだ。ブイズ好きな後輩とゲームがしたくて二人でブイズローテもした。ゲームが苦手な人とは一緒に絵を描いた。私は下手だからちゃんと下手だってバカにしてもらえるくらい描いた。

自分の役割は変な人になることだと思っていた。組織はスマートな人が回す。対戦に真剣に向き合う人は強い人のところに行く。私は「誰か」の受け皿として存在すればいい。何してるかも分からない変な人。

6月ごろになると、組織のことはまだ前向きに考えているけれど、他方でもう大学に通うのは困難だろうと感じ始めていた。先輩にも以前から相談はしていて、

「2年やって体に合わないものは無理して続けるべきではない」と言われていた。答えを出すなら11月だと考えていた。それまでに自分自身に可能性を感じなければ大学を辞めることに決めた。逃げだとも思うけど、精神的に苦しかったからただただ楽になりたい一心だった。

空気は壊さず、でもあまり好かれないように。失礼な態度や高圧的なものの言い方もそれなりにしていたと思う。どうせ離脱するなら、最後は湿っぽくならない方がいい。誰も引き止める人がいないくらいでちょうどいいだろう。心の弱さからくる自衛本能だった。

 

11月、ORASが発売される前日に突如サークルをやめた。

そしてそのまま大学もやめた。

何かしたくてではなく、何もしたくなくなってやめた。

 

 

二回生になる直前にとあるシングルバトルの大会があった。それは自分たちが開催したものではなかったが先輩が告知をしていたのでサークル関係の人が来てくれていた。

先輩が必死に告知している姿を見て参加を決めた。弥生くんとPTを考えて夜な夜な通話していたのを覚えている。当日確か私はメガジュペッタを使った。初めて予選を抜けた大会。

その大会で出会ったのがひこさんだった。

同じブロックになって対戦をした。ほかの参加者はよく見るポケモンを使って、なんなら台パンとかしてる参加者までいて(オフでやるのはどうかしてると思います)、そんな中ひこさんはレベル2トゲキッスを使っていた。

もちろん真剣に勝つつもりに決まっているけど、私の目にひこさんはとてもオシャレに映った。交流にも重きを置いて参加しているんだと感動した。それからひこさんと少しずつ仲良くさせてもらうようになっていった。

 

私が大学を辞めて何もなくなったとき、2月くらいだったか、確かひこさんから連絡をもらった。その日ある大会オフが行われている、その決勝に私のかつてのサークルの先輩が残っていた。「自分は今からその大会に応援に行くつもりだから、もし暇なら一緒に行かないか?」ということだった。連絡を返しすぐ家を出て、駅からひこさんと歩いた。日も落ちて寒かった。

これからどうするのかなど話した。その時だって会ってきっちり話すのはまだ数回目という感じで、他大学の人間なのにこんなに親切にしてくれるのかと感動していた。

私はそれなりに返答していたが何も決まっていなくて、ポケモンももうすることないのかもなとちょうど思っていた時だった。

ひこさんから

「何もなければローテーションバトルしてみたらどうですか?やめても別に誰がどのゲームで遊ぶかも自由ですし、弥生さんもいるし」

と提案してもらった。面白い人がたくさんいる世界だと説明してもらった。

特に何も思い浮かばなかった。漠然として、ぼーっとしていた。

ただ声をかけてもらえたことが心から嬉しかった。引け目とかそういう鬱屈した感情にも答えを出してもらえたような気がしていた。こんなに優しい人とこのまま関わりがなくなってしまうのが嫌だった。

 

その日から自分の為にローテーションバトルを遊ぶようになった。