ローテ有識者を待つ。

私を強くしてください。

懐古② 新しい世界

ローテーションバトルで遊ぶようになった。レートに潜るPTを毎日のように考えていた。

私はゲームがとてつもなく苦手でさらには要領が悪いので、対戦して負けては、何が悪いかもわからなくて日を空けて、また別のPTを準備して潜る、というサイクルだった。

毎シーズン多くても30戦するかどうかくらい、勝ち越せないこともたくさんで、でもそんなことはどうでもよかった。知らない人とまだ遊べることがなんだか嬉しかった。

 

2015年の9月、ローテーションバトルのオフに参加することになる。これもひこさんからのお誘いだった。初めてローテの世界の人たちに会う。オフの大会にはもう出ないと思っていたのに、なぜか少しワクワクしている自分がいた。「引き潮」と名乗って参加申請をした。

当時トリプルやローテのブログをいろいろ読んでいたのでかちゅーしゃさんのボスゴドラを参考にしてメガボスゴドラ軸のPTを組んだ。今思うと本当に粗末な仕上がりで、まんまPTごと拝借した方が勝率高いまである。でもオフの為にひっそり準備したPTが愛おしかった。

大会のブロック分けで同ブロックになり対戦したのがめりーくんだった。

弥生くんと再会もした。その日遠くにいるシュガーくんを紹介された。

大会が終わって、確か年末にはローテ紅白戦が行われて、そこでしえるくんと対戦する。当時のしえるくんは今の私のような並びのPTを使っていて、でも考え方は今と変わらず論理的だった。翌年には新年会が行われたんだったか、そこで初めてしえるくんと出会って仲良くなった。帰りも一緒に帰った。

色々ガラッと変わった瞬間だった。痛々しい自分を知らない人たちと知り合うのが楽しかった。まだまだ痛々しいのだけれど。

 

それからローテをするときはしえるくんととにかく話した。

たくさんいるローテの先輩たち、みんなゲームが上手くて本当に強くて、そういう人たちをどう崩すか新しい軸は見つからないかと話していた。

もつオフにしえるくんだけ参加して、その後も何個か大会はあってしえるくんだけは参加していた。私は迷惑をかけないよう大会はだいたい参加しないことが多かった。大体ここらへんでローテが一回目の終わりを迎えることが発表された。この先はローテレートで遊べなくなる。

若い我々も時間が経つと感じることが変わるようで、そのうち話すことは「同じくらいにローテを始めた人達はもう結果を出している。自分もいち早く結果を残したい」だった。しえるくんは私ではなくひこさんやでぃーちょさんのような論理的プレイヤーと立ち回りに関する話をするようになっていった。私はしえるくんをずっと応援していた。評価される人間になって当然だと思っていたから。

私自身は結果はもちろん残したかったがそれは夢のまた夢であることは理解していた。だから離されないようについていけたらそれで良くて、あとは苦しくならないように注意していた。ポケモンに対して楽しい感情だけは絶やしてはならなかった。

2017年のいつだったか、しえるくんが週末大会で優勝した。

 

 

2015だったか全く覚えていないのだが、ボッソウくんと知り合うことになる。それくらい自然に自分のすぐ近くにずっといた。多分こうだったかなと思うのは確か当時私はトリプルの人たちのことも気にしていた頃で、ボッソウくんのツイートが回ってきた。憧れのざわさんと対戦できた、みたいなことだった。

すごく羨ましかったというか、微笑ましかったというか。ずっと楽しそうな人だった。

2015年の東京のローテオフのお手伝いをボッソウくんはしていたと思うが知り合ったのはきっとそのあとだったんじゃないかと思う。

ボッソウくんとはよくローテで遊んでいた。レートでもフリーでも、ボッソウくんがニコ生で放送したり私がツイキャスで放送したりするたびスナイプしにいった。私とボッソウくんは対戦の考え方は少し違うが根本は同じだった。自分の好きなポケモンや強いと思うことを自己満足でいいから表現したい。それで勝てたらもっといいよね、という感じだった。

コソコソ隠れるように自己満足を披露しては真夜中にお互いげらげら笑っていた。

そうして私が週末ローテを主催した時にはボッソウくんに参加してもらった。そこらへんからボッソウくんもローテの大会に徐々に参加してくれるようになった。

 

ローテレートがなくなって、もちろん大きな村の中でみんな仲は良かった。でもレートがなくなったことでより一つ一つの結果を重視する人もいれば、まだローテ史にロマンを抱いて掘削作業にいそしむ私のような人もいた。

すごく楽しかった。

知り合いを増やすようなアクションをためらっている自分もいた。

 

 

2016年ローテレートが終わった後にほりさきさんが大会を開いた。長期で人数の多い大会だったはず。お祭り感覚で参加した。ただやはり人数が多い大会だったので知らない人もたくさんいた。対戦日程のやりとりをする中で、都合のつかない(連絡の返ってこない・建設的なやりとりにならなかった)方もいて最終的に期限までに試合を消化することができなかった。

私の中では今でも後悔していることであり、そして知らない人と遊ぶことのストレスを最も感じた瞬間でもあった。面を合わせて話すわけでもないからうまくいかないこともたくさんある。理解しているつもりだったけど、いざ直面した時に自分は解決の方向に持って行けなかった。抗わずに期限が過ぎるのを待った。

これ以降大会の主催には今まで以上に敬意を持って、また参加者にも感謝の心で接するようになった。ほりさきさんには本当に申し訳なかったです。

 

ほりさきさんとの大会で対戦し、その後仲良くなったのがニガナちゃんだ。

ローテはほぼやったことないと言っていた気がするが、当時からすごく上手いなと思っていたしふざけたことを言ってもへらへらしてくれる人だったから打ち解けた。弥生くんと仲良かったような記憶もある。

 

レートが終わるか終わらないかの時期がポケモンを始めてから一番楽しかったような気がしている。まだ前向きな自分がいた。