最近は暖かくなってきましたね。花粉症で生きるのが厳しいです。
春先になると変な人も出てきますからみなさん気を付けてくださいね。
人生は選択の連続ですね。私たちは何をするにも選択をしています。
その選択の基準はやはり損得だと思っています。
自分にとってどちらを選ぶのがプラスなのか、マイナスなのかを常に考えている。
人生のターニングポイントであろうが、ある日のお昼ご飯であろうが、今の自分にとって少しでもメリットがあるのはどちらか。その判断が正しく行えるかどうかで人生の充実度が変わってきますね。
私はゲームが苦手です。どういうジャンルでも苦手です。
昔からゲームをするときは一人でした。誰かと遊ぶことはありませんでした。
友達が少なかったのもありますし、人の家に上がるのも好きではなかったからかもしれません。ただ一人で淡々と、何度も同じゲームをする。そういう子供でした。
それゆえ、たまに誰かと遊ぶことがあるといつも負けていました。
将棋やオセロ、トランプのようなゲームから格闘ゲーム、レースゲーム、マリオパーティみたいなのとかも何一つ勝てませんでした。
今になって考えるとあの時の自分の選択の基準、その損得は感情的でした。
例えばポーカーをしたとき。確率的に薄くてもフルハウスを作りたいと思ってしまうと降りないとか。格闘ゲームで大技で勝ちたい思ってガードを忘れて前に出てしまうとか。
独りでCOM相手に遊んでいると行動パターンも分かってくるし何より自分の感情で行動を決めて成功しようが失敗しようが楽しいし満足感があるんですよね。失敗してももう一度やり直せばいい。手を抜こうが大技を振ろうが何しようが楽しければいいんですね。
ただ、他人と遊ぶというのはその場の人で楽しい空間を共同で作っている感じがあります。一人が変なことをすることで場が白けてしまうこともあるのです。もちろん奇跡が起きれば喜ばれるし大笑いもするのですが、ゲーム性を損なう行動は反感を買います。
そしてたまに、その場で勝つか負けるかでヒエラルキーが決まってしまうこともあります。ゲームが弱い奴として馬鹿にされたり遊びに誘ってもらえなくなることもあるかもしれません。
学生の頃からここ最近までポケモンで遊ぶようになって、それもいろんな人と遊ぶようになって、自分が行動選択をする天秤はまだまだ感情に振り回されているなと感じます。
こんなことが起きたら楽しい、は自分一人の目線ですが対戦ゲームでは相手がどう考えているかも加味して行動選択をしなければいけません。いや、しなきゃいけないというわけではないのです。ただ、感情による選択では自己満足で終わってしまう。誰かと遊んだことには厳密にはなっていないのかもしれないということを感じました。
より現実的な成果、確率を考えなければ強くはならないのでしょう。
こんな気がした、勘が働いた、という経験則に基づく選択には価値があると思います。しかし、こうしたら盛り上がる、自分が楽しい、は少し違うなということです。
私は過去に他の人が考えないようなことをして、どれだけ盛り上げられるかが自分の存在価値かなと思っていました。ただ、その思考から生まれる選択は間違えていたかもしれないと思い直しています。イメージですが、基礎の土台がしっかりしていないのに夢を見て応用しているような、それが自分目線でしかない。ワンマンな社長の野望なだけで世間の需要とマッチしていないような。
最近麻雀で遊ぶようになってから考えるようになりました。
相手は何を考えているか。それを汲んで私は何をするのか。
その間の現実的な落としどころ、現実的に起きうる確率の高い方、自分に起こりうる最悪な状況はなにか、こういったことを前提にして天秤を用意するべきですね。
今年は新しい天秤を準備する、その精度を上げるのを目標にします。
今まで書いたことはただ当たり前の事というか、普通の人間なら子供の頃に気付くことですね。
しかしながら目立ちたいだけでモラルのない行動をして動画としてアップする人なんかも世の中にはいるということで。まだ気付けていない人も世の中にはたくさんいますね。本当に日常的に必要な考え方だと思います。
先日、終電に乗り最寄り駅まで帰りました。
日中嫌なことが起き心も沈みひどく疲れていた私は、駅の近くの駐輪場に自転車を停めていたのでそこまでとぼとぼと歩いて向かっていました。
真っ暗な夜道、人は誰もいません。
気持ちを切り替えるために私はピシとチンを戦わせ始めました。
ピシとチンを戦わせると言っても決して暴力的なことではありません。
ただピシピシ、チンチンと何度も口に出し、どちらをよりたくさん言いたくなってくるかというものです。
ピシピシピシピシピシ、チンチンチン、ピシピシピシピシ、チンチンチンチンチンチン、ピシ、ピシピシ、ピシ、ピシピシピシ
上記の場合はピシが優勢ですね。
大体4分くらいやって、いつもピシが勝ちます。
その日もピシがだいぶ調子良くて。
ほぼピシ一色。ピシサポーターの歓声でドームが包まれているような感覚で。
ピシピシ言いながら駐輪場まで歩いていたんですね。
すると斜め前に女性がしゃがんでいることに気付きました。
よくある茶色のロングコートで黒髪の、目の大きい若そうな女性でした。
女性は怪訝そうに私を見て、ゆっくり立ち上がり後ずさりを二歩。
パッと目に入った瞬間これはやってしまったな、と恥ずかしく気まずくなりました。
しかし、その女性の近くに小さな黒猫がいるのを見つけました。
駅の周りということもありどうやら飼い猫って感じではなさそう。
そしてその女性が立っている場所は月極の駐車場でした。
その女性の前を通り駐輪場に着いたところで私は天秤にかけました。
「真夜中に真顔でピシピシと呟きながら歩く男性」
「真夜中に野良猫を追いかけて月極駐車場に入っちゃう女性」
ギリ後者の方が危ない人だと思いませんか?
いい歳してピシピシ言ってる
よりも
いい歳して猫追いかけて駐車場に迷い込んじゃう
の方が心配になってきませんか?病んでそうじゃないですか?
私の天秤は感情の支配から解き放たれて生まれ変わりました。
私は自転車に乗り、視線でその女性を抑えつけ
先ほどより少し胸を張ってピシピシと言いながら前を横切って帰りました。
最近は暖かくなってきましたね。花粉症で生きるのが厳しいです。
春先になると変な人も出てきますからみなさん気を付けてくださいね。